春学期終了も間近2013年08月01日 18:07

関学着任から続けてきた「債権総論」講義(秋)ですが、本年から「物権法」講義(春)の担当となりました。

本年の物権法講義では、院生TA2名の協力のもと、昨年に引き続き、パワーポイントを利用した講義を行いました。 とはいえ、穴埋め形式のレジュメを基本的にはそのままパワポに落とし込んで、穴埋めの手間を省いたということにすぎません。 今季はレジュメ作成に時間がかかったため、あまりポワポの利点を活かした工夫を加えることができませんでしたので、来期はもう少し変化をつけたいと考えております。

また、TAに加えて、学部生LA1名にもお願いをして、毎講義ごとに確認テストを行いました。 オリジナル問題を中心にしつつ、司法試験や公務員試験等の過去問もいくつか織り交ぜたうえ、詳細な解答編も作成して配布しました。 当初は、確認テストを行うかどうかは躊躇する面もあったのですが、TAとLAが付いたために思い切って行うことにしました。 実際に行ってみると、作問および解答作成は想像以上に大変でしたので、来期も続けられるかどうかは微妙なところですが、学生アンケートでは大いに好評ではありましたので、できれば続けて行きたいところです。

他方で、今年の春学期から司法特修コースが実質的に始まり、同コース2年生の民法発展演習(1クラス)を担当しました。 2年生前期という時期もあって、どのような内容が適切か色々と迷いましたが、民法総則と物権法の範囲を中心に、あるテーマについての基本的な事例問題と関連判例(百選掲載)の演習を1セットとして、グループ報告をしてもらいました。 来期に向けての反省点も色々とありましたので、この夏休みにしっかりと振り返りつつ、より良い演習になるように工夫と努力を続けたいと思っています。

さて、物権法の採点もやっと終了し、確認テストの点数も加点評価として算入しつつ、昨日、最終成績を事務室に提出しました。 あとは、院生さんの論文指導の補講と追試の監督が残るのみです。

夏休みはすぐそこまで来ていますので、そろそろ研究体制へと切り替えて行きたいものです。

大学業務と研究2013年08月06日 14:58

昨日の追試2日目の試験監督業務にて、13年度春学期の大学業務が終了しました。 今年から学部長補佐職を拝命したため、この春学期は大学業務にかなり忙殺されてしまいました。 体力的にはまだ不安もあるのですが、遅ればせながら、そろそろ夏の研究体制に移行しようと、気持ちを切り替えているところです。 (これが、なかなかに難しいですね…)

かつて同職にあった父にも言われたのですが、大学教員の仕事には「研究」と「教育」という2つの車輪があるとよく例えられます。 この2つの車輪がバランスよく回らなければ、大学という研究・教育機関は前には進まないということなのでしょう。

ただ最近は、これらに加えて、さらに「大学業務」を切り離して考えるべきかと思われます。 これまでは「教育」の一部に「大学業務」も位置づけられていたのでしょう。 しかし、いずれの大学でも、講義やゼミといった純粋な「教育」の負担ももちろん増える一方で、教育懇談会、学生就職支援や高校訪問・オープンキャンパスなどなど、様々な「関連業務」が増えていると聞き及びます。 関学大はまだマシな方かとは思いますが、先輩教員の方々からは、とみに関連業務や会議が増えて来たと伺っております。

教員の仕事が2輪から3輪になって、はたして上手く前に進むのでしょうか。 大学からお給料をいただいている身であまり苦言を呈する気はありませんが、なんにせよそのバランスの取り方に問題があると感じます。 どれかが突出してしまってバランスを崩せば、教員個人も大学自体も上手く回らなくなってしまうのではないでしょうか。

その昔、私の子どもの頃にはミゼットなどのオート三輪がありましたが、最近はまず見なくなりました。 その原因をよく知りませんが、大学教員の行く末もこのようなことにならないことを祈りたいものです。

お盆休み2013年08月12日 10:41

まったくの私事で恐縮ですが、このお盆休みに、父の計画で渡邊家の先祖の供養塔があるという瀬戸内海の島に一泊旅行に行ってきました。 家族総勢17名、小さい子どももいるうえ、ここのところの異常な暑さで参りましたが、ご先祖のものとされる供養塔と祠の場所に行きつくことができました。

もともと、実家にはおよそ20世代ほど前に遡る家系図が残っているのですが、父も叔父も後世の偽物だろうと取り合っていませんでした。 しかし、今年のお正月にざっと現代語に訳してみると、それなりに信憑性もあるかもしれない内容だということが分かりました。

うちの渡邊家のお墓自体は香川県の奥地の村に江戸末期から5、6代ほど残っているのですが、父方の祖父が戦争で亡くなっていることもあって、それ以前の動向はわかりませんでした。 ですが、もしその家系図が正しいとすれば、20代ほど前の戦国時代末に、現在の九州や山口辺りで戦に負けたご先祖が瀬戸内海の水軍で有名な島に流れ着き、そこで渡邊家にお世話になったのち、その名跡を継いだということになるようです。

今回の旅行でとくに興味深かったのは、父が連絡を取ってお会いした島の高名な郷土史家の先生(御年90過ぎ)から島の歴史等を詳しく伺うことができたことです。 さらに、その先生がうちの渡邊の家系図と3代目くらいまで同じ家系図の写しをお持ちだったことです。 どうやら、数年前にも群馬県(?)の方から、とある渡邊さんが尋ねてこられて、ご先祖がこの島の出身だという同じ系譜の家系図をお持ちになられたそうです。 おそらく、3代目辺りから分かれた遠い親戚にあたる人なのかもしれません。

さて、私自身は父ほどに興味があるわけでもありませんでしたが、それでも自分の祖先(かもしれない人)が遠い昔にこの島に暮らしていたのかと思うと、なかなかに感慨深いものがありました。 他の瀬戸内海の島々と同様にこの島も過疎化が進んでいるそうですが、ぜひ島の歴史を大切に残していってほしいものです。

私自身、なかなかお墓参りにいく時間も取れず、ご先祖を大切にしない不遜な人間ではありますが、少しは心根を入れ替えなければならないなと思ったお盆休みでした。